昭和59年1月10日 月次祭
去年よりも、今年。今年よりも来年、と広がりに広がっていくおかげを願わせてもらわねばならんと思います。ただその時、その時の願いでは、堂々周りのおかげに終わってします。日勝り、月勝り、年勝りと教えられますから、年勝りのおかげの頂けれる信心とは、どういう信心をいうのかと。まずそういうところへ、いわゆる本当のところへ、着眼してのお互い信心修行でなければなりません。
只今お広前では、寒修行の真っ最中でございますが、せっかくこの寒をついての修行が、そうしたおかげの受けられる、そういう意味においてのおかげの受けられる為の修行であらねばならんと思います。
先だっての合楽新春の宴ですか、毎年のことながら、本当に神様が合楽にご縁を頂く者の一人ひとりの上に、あーいう切実さをもって願っておられる。その願いを願いとしての私は信心でなからねばならんと思います。また、それが神願であるならば、その神願成就をこそ、願わせてもらう為の修行でなからなければならん。
今日も私は、午後から言葉も出らないようにきつかったんですけれども、本当に神様にお願いをしてあってのことであるし、この度、私が頂きましたくじには、求道を、為に、「道を求める前に光を」と頂きました。
求道という言葉は、これは宗教だけじゃありません、色々なその道を求め求めして、皆が苦労致します。けれども、手探りの求道、真っ暗い中を手探りで、いわば求めていくということは、大変な、至難な業で、そしてそれが、果たして成就するかしないか分からない。
先だって、あるお道の雑誌が送ってまいりました。布教前線というような見出しで、ちょうどまる3年前に布教に出られた先生のところへ、編集部の方たちがお邪魔をして、その布教の様子を見てきて、書いておられる記事でございました。
小さいお広前に神様がお祭りして、そこの前、いわゆる祝詞座に当たるところの畳は、祝詞座も引いてございませんから、もう畳に直接座ってご祈念をなさるんでしょう。その御神前、真っ黒のように、汗でにじんだというのでしょうかね。座っておられる、その足跡が畳に映っておる写真が出ていました。
なるほど、尊いことです。本当に、ようも辛抱がおできになると思うくらいです。けれども、私はその記事を聞かせてもろうて、3、4日はなにか心に引っかかって、悲しゅうしてたまりませんでした。
3年間のそうした一生懸命の布教にもかかわらず、一人の信者もまだおりませんというのである。それこそ、道を求めて一生懸命であっても、ここという拠り所なしに、ここなら、これなら絶対という、その絶対のものを求めての求道でなからなければならないことが分かります。
求道、これはもう限りが無いことです。今日のように例えば苦しい時でも、もうものは出らんようにありますけれども、心の中には、その道を照らす光の、おかげを頂くことの為の修行だと思うと、涙が溢れます。
今日私、家の子供たちに、あんたたちが今度、新春の宴に頂いたくじを、私が目で分かるように大きく書いて、一人ひとり持ってきてくれと。合楽で言われる、いわゆる士農工商と言われる、その士農工商の実が上がるということは、取りも直さず私の祈りが成就することであり、私の祈りが成就するということは、いよいよ神願が成就することだと、私は信じております。
その士農工商の子供たちが、神様にどういう願いをかけられておるのであろうかと、それを知りたかった。第一、若先生が頂いておるのは、私の今年最上の、というか、祈りの芯であるところの「世界清め運動」というくじを頂いております。
世界のいうなら平和と総人類の立ち行きを願わせて頂く。それには、こういう生き方、こういうあり方にならなければ、という絶対なもの。そこに焦点として、その運動の、いうなら、私が今こんな状態ですから、子供たちが、いうなら若先生がその芯ともなり、いうなら、世界清めのいわゆる救世主ともならんというくらいの願いが、私が、私の子供たちにかけられておるんだと。それが一つの大きな運動ともなって、巷ちまたに展開していくおかげを頂かなければなりません。
どうでしょう、子供が書いてまいりましたのを…皆さんに聞いて頂こうと思って持って…(何か書いた巻物を出されるような音)光昭が「信心辛抱、梅の花。やがて鶯来てとまる」幹三郎が「親孝行は信心の根本」だと。栄四郎は「神人(しんじん)辛抱」いわゆる、神人(かみひと)ですね。神人(かみひと)辛抱。この四人の子供たちが、にかけられておる神様の願いというのものを、真に、真で対して、それを現していくおかげを受けてくれよという神様の願いである。
そこで、合楽のご信者の皆さん、一人ひとりも、そういう大きな願い。これなら絶対、神様の願い、悲願と思われる悲願に応えまつるべく、お互いの信心修行が進められてまいりますなら、皆さん一人ひとりがその運動員ということになります。その自覚がいります。
合楽で(伝えられて?)おる、合楽理念に基づく世界清め運動の一員たる、いうなら実を上げていくために力がいる。また、そこには、子供たちでいうならば、親が残してくれた光を見失わないように、手探ることはいらん、はっきりそこに示されてある道を、まっしぐらに進ませて頂いて、おかげを頂く。
そういうおかげに明け暮れれる信心。そういう内容を、内容としてまいりましたら、必ず末広のおかげが蒙られると思います。
去年よりも、今年。今年よりも、来年と。希望に満ちたおかげの世界を受けて、そしてそれを、現していく運動。まずは、自分の心の中から。
今日、先程、秋永先生が、信徒会長です。あることのお願いに見えられました。神様のお働きの中には、教祖様が、私は意味が良く分かりませんけれども、日天四月天四ということを、お言葉を使えになっておられます。いうなら、教えにも陰陽があるということ。太陽系とかね、お月さまの…。
そのことを頂きましたんですけれども、先生が今度、くじを頂きましたくじには「和すれば乱れることなし」ということだったと私は記憶しております。和すれば、和というのは、平和の、和賀心の和です。和すれば乱れることなし。こういう場合にでも乱れんで済む自分が有り難いと喜ばせて頂く心が賀の心。いわゆる和賀心です。
今度、熊本の富永先生夫婦で、あの晩見えておられました。先生が引き当てたのは、「実験時代」と書いておられる。合楽にご縁を頂いたから、もうさぁいうなら、売れた売れたまた売れたといったようなものでは無い。まずは合楽の信心に帰依して、いわば合楽で教えられる教えを元に、そこに実験時代を求めておられる。
奥さんは「黙って治める」と。もう先生あんた方は、今年はもうこれで行く以外になかばい。先生が一生懸命教えに忠実であろうとしても、家内が横からガタガタ言うとったら、もうそのおかげを引き釣り落とすようなことになる。もう的確、もうこれは、日奈久教会、今年の信心の信条としていかなきゃならんところだな、というように、ならお互いにそれぞれに、的確な神様の御心を皆さんに、切実にお伝えになっておられる。
自分に都合の良いような風にばかり取らずに、大きな願いの前に、はっきり願いがいよいよ成就する願いであり、修行である。そこから生まれてくるおかげを私は、必ずや日勝り、月勝りという、年勝りのおかげにつながって行くことが出来る。
勿論、目先目先の、痛い痒いのことも願わなきゃなりませんけれども、願いの根本とするところをです、神願成就に結び付けての祈りであり、信心修行でなからなきゃならない。
こういう教えがかつてあっただろうか、確かにお道の信心は、前代未聞の、開闢以来、前人未到の道である。
その前人未到の道を、とてもとても、手探りぐらいで、どんなに熱心だ、どんなに頑張ったというても、そこにはっきりと明示される道を間違えず、進んで行くということ。そういう意味で私共が本気でその気になれば、合楽ではその間違えのない道を、はっきりと明示して頂いて、しかもこれは限りがない。
限りなく進めて行こうとするためには、限りない道を歩かなければならんのは当然。限りない修行の道であるからこそ、また限りないおかげの進展も伴うてくるわけでございます。確かに、合楽で今言われておる教えは、確かに前代未聞のお話です。
先程学院の中村さんが、挨拶に見えられまして、去年の暮、突然あちらのご主人が亡くなられました。もうそれこそ、あまりにも突然のことで、本当に眼の前が真っ暗になるようなことだっただろうと思います。けれど、(はつみ?)さん、こげん時、目が真っ暗、目の前が真っ暗になったというておったら、日頃の信心の値打ちはなかばい。
こうした悲しい難儀に、直面した時、はっきり信心頂いておったおかげで、と光を感じれるような、これからおかげを頂いて下さいよ、というてお話ししましたことですけれども、お互い、いよいよの時に、その光を見失うようなことではなりません。光を見失わぬ。また、自分の心にも、その光を蓄えるというか、その光がはっきりと心に感じられるような信心を、日頃しておかなきゃなりません。
何十年信心が続いても、ただ日参というだけではなくて、教聴、信行、心行、家業の行と。そういう合楽の芯である信心を、日日身をもって行じておらなければ、これほど信心するのにといったような答えしか出てまいりません。
信心頂いておる者の、値打ちをいよいよ大きな視野にたっての、合楽で願われる、宇宙清めの運動。世界清めの運動に参画させてもらい、その運動員の一員としての実意をこう、頂く、頂かねばという信心なら、必ず去年よりも今年、今年よりも来年というように、広がりに広がっていくおかげを実証していくことが出来ると思います。
まぁ、教会においても、去年よりもお届け数が、どれだけ?一万五千ぐらい、今合楽でこうした大修行の中にありますけれども、やはり日勝り月勝りのおかげを頂いておるという事実が、数字の上にはっきりと現れております。
だから、お互いの心の中にも、家庭の上にも、どうでも月勝り、年勝り、代勝りのね、今年よりも来年、というおかげの頂けれるおかげの頂けれる信心を一つ目指したい。それには、それぞれが百人百様、皆さんがくじに引かれました。そのことをもっと掘り下げて、もっと広い意味で分からせてもらい。検証させてもろうて神様の願いに応えられる、神願成就の為の信心生活をいよいよ確かなものにして行きたいと思いますですね。
この十三日会にはいつも、お互いの頂いた、今年の抱負、信心の抱負を、そのくじの中からヒントを得た方たちがいつも発表いたします。どうぞ、この十三日会には、お互い一つ心の中に練らせて頂いて、間違いの無い指針を立てて、今年一年の信心生活の上におかげを頂きたいと思います。
十三日会、神願成就の日と言われる。本当に私の祈りが、願いが神願に沿うておるか、応えられておるかといったようなところを、いっぺん確かめてみておかげを頂いて下さい。どうぞ、有難うございます。